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2021年03月22日

日台友情台北

【東日本大震災の日台友情エピソード】(黄智慧先生からの投稿)

中央研究院民族學研究所の黄智慧先生からの投稿です。ともに自然災害が多い日本と台湾の共通点を考えさせられます。
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台湾と日本は地理的環境が似ています。島嶼の地形は変化に富み、高山や森林、そして四方を海に囲まれ物産が豊かであると同時に、地震、台風、津波、土砂崩れによる生命の脅威を受けることもあります。ゆえに、台湾と日本で災害が発生する度にお互いがどのような苦難を受けるかは想像に難くありません。
 東日本大震災から1年後の日、私は台湾の先住民が励ましのメッセージを書いた50枚以上の黄色いハンカチを携え、甚大な被害を受けた仙台市の海岸沿いにある荒浜地区に向かいました。午後2時46分、被災家族らが行った共同追悼式で、私は震災の犠牲者へ哀悼の意を表しました。
 宮城県仙台市荒浜は、風光明媚な水辺があり赤貝の最大の漁場でもあります。農業と漁業で栄えてきたこの場所には、1,700人以上が住み400戸以上の住宅がありましたが、津波に180人もの命が奪われました。荒浜は地震発生後から間もなく政府により「災害危険区域」に認定され、生存者には集団移転が求められましたが、住民の意見は分かれていました。多くの人は荒浜に住み続けることを望み、家屋の基礎の上に「希望の黄色いハンカチ」をかけ荒浜の再建を願う活動を始めました。

 実は、東日本大震災が発生する1年半前の2009年夏、台湾で百年に一度の台風被害(88水害)が発生しました。台風による激しい豪雨が阿里山以南の台湾の南半分を襲い、山地に住む原住民の集落が壊滅的な被害を受けました。
 私が届けた黄色いハンカチは全て、震災発生当時に88水害被災地域の仮設住宅で生活していた先住民からのものでした。平埔族の大武壠群小林村は山崩れで埋もれ、500人近い村民が命を落としました。魯凱族の新好茶部落は土石流で浸水、村の家屋や財産が失われました。布農族の南沙魯部落では洪水により26人が亡くなりました。彼らは東日本大震災による被害を自らの身に起きたことのように感じ、すぐさま黄色いハンカチにメッセージやイラストをかき心からの支持や励ましをあらわしました。

 この運動は、環太平洋地域の復興領域専門の学者ら(Pacific Rim Community Design Network)の応援を受け、100名近くのアメリカ、カナダ、韓国、台湾、香港、中国等の学者が連署で仙台市に公開書簡を送り、荒浜の住民の声を大切にしてほしいと呼びかけました。台湾も、921大地震、88水害、都市に住む先住民による河岸部落再建に関するNGO団体のメンバーで応援チームを結成しました。
 震災から1年、仙台市荒浜地区には600枚以上の黄色いハンカチが掲げられ、世界各地からの声援が、日本の東北の青い海と空に舞いました…。頑張れ!東北!
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