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2021年02月17日

日台友情台北

東日本大震災の日台友情エピソード (Vincent Tsaiさんからの投稿)

(以下、中国語からの仮訳です。)
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東日本大震災から今年で10年となります。震災発生当時、私たちは、テレビ画面に絶え間なく映し出される地震や津波の被害を目の当たりにしていました。死傷者数や行方不明者の数は日に日に増え、多くの台湾人は、このような災難が私たちの最も親しい国で起こっているということが信じられませんでした。

震災発生から間もなく、エバーグリーン・グループの張栄発総裁(当時)が個人名義で10億円の寄付をしたことを覚えています。彼が、毎日テレビを見ながら涙を流していたと話していたことが、心に強く印象に残っています。

震災後の6月、端午節の連休中、私は山形県のボランティア団体が主催する宮城県石巻市へのボランティアに参加しました。それまで私は、北海道、沖縄や九州に行ったことはありましたが、東北には行ったことがありませんでした。私の思い描いていた東北はとても美しい場所だったので、初めて足を踏み入れる東北がこのような状況下であろうことは想像もしていませんでした。

当時は、東京から被災地までの鉄道路線が途絶えていたため、私は東京から新幹線で山形に向かいました。6月の東北はとても暑かったことを覚えています。私はお昼ご飯用の巻き寿司と、1リットルの水を2本買い、ボランティア仲間と共に、早朝にバスで山形から石巻へ出発しました。

石巻に入り目にしたのは、すべて津波でひどく壊された住宅や工場、沿道に何層にも積み重なった廃棄車両でした。目的地に到着すると、すでに日本各地からボランティア団体が集まっていました。私たちはある民家を担当し、泥の掻き出しや家の中にある全ての家具や内装の片付けなどを手伝いました。当時の被災地は水道も電気も止まっていましたが、ボランティアにきた人と被災地の人が、みなで炎天下の中協力し合い、早く被災地が日常生活を取り戻すことを望んでいました。

夜、山形のホテルに戻り、巻き寿司はほとんど口にせず、2リットルの水は全部飲み干していたことに気付きました。それほど暑かったのです。私がボランティア参加を決めた主な理由は、南三陸町の、自身の責務を全うして防災放送を続け犠牲となった、勇気ある公務員に感銘を受けたからです。彼女の犠牲は多くの大切な命を救っただけではなく、後世の人が学ぶべき偉大な模範となりました。

私は、現在の東北がほぼ復興していることを知っていますが、新型コロナウイルスの影響により日本と台湾の観光交流は停止しています。ウイルスの流行が早く収束し、台湾と日本が早く交流を再開できるよう、そして台湾と日本の観光客が存分に日台の絶景や美食を楽しめるよう祈っています。




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引き続き日台友情エピソードを募集しています。ぜひ皆様のエピソードをお寄せください。詳細はこちらをご覧ください。