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2021年03月16日

日台友情台北

【東日本大震災の日台友情エピソード】(蘇珧惠さんからの投稿)

元々記者だった蘇珧惠さんは、東日本大震災発生の翌月に台湾赤十字会の一員となり復興協力に携わってくださったそうです。
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●台湾料理店・欣葉の菜脯蛋(切り干し大根の台湾風オムレツ)による援助、海を越える
東日本大震災発生後、台湾赤十字会は募金活動を行いました。非常に印象深かったのは、欣葉の500万台湾元を超える義援金です。44年の歴史がある欣葉は、2011年3月12日からの100日間、菜脯蛋の売り上げを寄付するというチャリティ活動を行いました。欣葉は老舗の力で、この100日以内に2万2,814個もの菜脯蛋を販売し、台湾赤十字会を通して日本を助けました。今でも菜脯蛋の良い香りが思い起こされます!

●日本への援助、台湾は「倍返し」以上
世界各国から日本赤十字に届けられた義援金は1200億円、各国の赤十字から日本に届けられただけでも600億円にもなり、その中でも台湾の支援金額は上位でした。日本赤十字を訪問した時、粉川直樹国際部次長は、台湾で921大地震が発生した時日本は台湾に30億円の義援金を送ったが台湾は「倍返し」以上だ!と言いました。その年流行していたドラマ「半沢直樹」のセリフで台湾赤十字の日本への援助が表現されたことに皆笑いました。
台湾赤十字会は多くの方からの愛の義援金により、岩手県と福島県に合計724戸の公営住宅と老人住宅を完成させました。当時の碇川豐大槌町長は大ヶ口地区災害公営住宅完成式典で、「雨が止んでも傘を忘れない」、日本は台湾への感謝を忘れないと述べました。その後、台湾赤十字会が再度大槌町を訪問した時にも、碇川町長は、「元々は台湾のことを知らなかったが東日本大震災後に台湾の思いやりを強く感じ、現在では爆発的に台湾の一挙手一投足に注目している!」と話していました。東日本大震災という大災害を経て、台湾と日本の友情が確かなものだということが再度分かりました!

●狐穴災害公営住宅で住民の笑み再び
2014年2月下旬、台湾赤十字会は再び福島県相馬市の高齢者が住む狐穴災害公営住宅を訪問しました。住民の老人たちは私たちをとても歓迎してくれ、毛糸の帽子をプレゼントしたり、家の前の空き地の販売車から飴を買って食べさせてくれたりと遠くから来た疲れも忘れました。木幡おばあさんはここでの暮らしはみんなで一緒に掃除、体操、洗濯、カラオケ、ダンスをしとても充実していて、町役場が提供する弁当もあり、ミニバスで買い物や病院に行くこともできると話しました。特に、みな口をそろえて自分は病気がなくとても元気だと話していたことが印象的でした。
最も印象に残っているのは、津波により12人の親族を亡くした鈴木おばあさんです。毎月10万円の国民年金と漁業網作りの収入で生活はまあまあということでした。鈴木さんは私たちに、台湾が9人の老人をつなげてくれ家族のような存在を作ってくれたことに感謝していると言いました。
台湾赤十字会と日本赤十字社の協力のもと、被災地域の高齢者に終の住処を提供することができました。私たちは改めて、義援金を送ってくださった全ての方に「ありがとうございました」と伝えたいです。
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