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2021年03月22日

日台友情台北

【東日本大震災の日台友情エピソード】(西村晃一さんからの投稿)

大震災当時松島町の副町長だった西村晃一さんより、台湾からの寄付金で再建した松島・福浦橋のエピソードをお寄せいただきました!
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東日本大震災から10年が経った。2011年3月11日は、日本三景の一つであり芭蕉の奥の細道で李登輝元総統にも訪れて頂いた宮城県松島町にとって忘れられない、過去最大規模の津波被害のあった日だ。堤防を越えた津波は、国宝瑞巌寺前の商店街の1階部分に押し寄せ甚大な被害となった。
私は当時松島町の副町長を務めていたが、震災後間もなく、台湾からわざわざ新故郷文教基金会に訪問頂き、日月潭観光船会社からの寄付金を持参され、町民一同大いに元気づけられた。

なぜ台湾からの支援だったのか。
はじまりは1995年の阪神・淡路大震災の時、一面焼け野原となった神戸市長田区のカトリック教会のボランティア活動に私が個人的に数回参加し、神戸の鷹取教会とのつながりができたことだ。この教会は、その後の1999年台湾大地震の際、被害の大きかった日月潭の復興に尽力するとともに、教会の集会場であったペーパードームを南投県埔里鎮に移築するなど、神戸と台湾との被災地同士の交流を続けていた。
そして2011年、東日本大震災の発生直後から、埔里近隣の日月潭の遊覧船会社では日本のためにチャリティーチケットを販売し、交流を続けていた神戸の教会にその寄付先の紹介を求め、教会から私宛に連絡を頂いた。これが松島と台湾との交流の始まりである。

寄付金は津波で被災した湾内に架かる福浦橋という橋の修理に充てられた。神戸、台湾、松島というトライアングルの支援の輪が広がり、福浦橋は文字通り松島と台湾の友好の懸け橋となっている。橋のたもとには、そのことを記念して説明看板も建てられている。
その後、松島町国際交流協会と大埔里観光発展協会との相互交流につながり、台湾の方々には何度も松島を訪れて頂いている。今後コロナが収束したら、是非台湾の方々に再び松島を訪れて欲しいと願っている。私も2013年1月に前町長(故人)と日月潭に御礼のために訪問させて頂いたことがある。心温まる台湾の皆様にお会いするために、コロナの収束後は真っ先に台湾を訪れたいと考えている。
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