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2021年04月01日

日台友情台北

【東日本大震災の日台友情エピソード】(小野幸三さんからの投稿)

日台友情エピソードもあと2つになりました。最後の1つ前は、宮城県名取市在住の小学校教諭の小野幸三先生から届いた感謝状です。小野先生の台湾で亡くなられたお嬢様の2014年3月11日のFacebookメッセージも併せてご紹介します。「励まし支えてくれる、気にかけてくれる、一緒にいてくれる」友人の存在に感謝しつつ、「日台友情」を大切にしてくださる皆様にお届けします。
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海から4Km内陸の宮城県名取市の我が家にも、あの大津波はやってきました。幸い自宅は流されず、閖上小学校の屋上に避難した息子も、翌日には無事に帰宅し、家族は全員無事でした。しかし、閖上の町は、親しかった人たちは、周りは・・・。困っている人、苦しんでいる人たちがたくさんおり、見て見ぬ振りができず、それから、自分にできそうなことに取り組んで来ました。

大震災の年、被災者に台湾の慈濟の方々が支援金を手渡ししてくれました。私の母も(山元町の実家は津波で流出)、私の兄も(東松島市の家は一階が浸水)頂きました。各地の被災者に台湾の支援を聞くと、「一番困っている時に、励ましの言葉と共に現金をいただいたのがありがたかった」と答える人が多かったです。また、台湾赤十字社の支援により、南三陸町の病院、大槌町の災害公営住宅や保育所などができました。私たちは、台湾の方々に、どれだけ助けられ、どれだけ希望を見出したことでしょう。

2013年9月、娘は台湾の大学に進学しました。台湾のテレビドラマが好きだったことと、高校3年の夏に第2回台南市青少年訪問団に参加し、「台湾の大学で勉強してメディアの仕事をしたい」という自分の夢を叶えるためでした。
進学してすぐに、東日本大震災の台湾の方々の日本に対する支援に感謝するイベント・第3回「日台・心の絆」謝謝台湾の活動に参加しました。私も、サポーターになりました。翌年、2015年3月、第4回の2日前、娘は不慮の事故で亡くなりました。娘を迎えに行ったとき、一番困難な時に、手を差し伸べて助けてくれたのは、台湾の方々でした。ありがとうございました。どれほど助けられ、どれほどありがたかったか。

2016年2月の台南地震、2018年2月の花蓮地震が起きたときは、各地で恩返しの募金活動があり、私たち名取市の有志も募金を集めました。慈濟の本拠地である花蓮には、直接支援物資も届け、慰問に行きました。昨年は、困っていた時に、抗菌の布マスクを台湾の友人からいただきました。
困ったときは、お互い様。ありがとう、台湾。ありがとう、友人たち。
今、世界には、自然災害だけではなく、感染症や命に関わることで、たいへんな困難があります。
これからも、共に、あらゆる困難を乗り越えていきましょう。
世界は、一つずつ、少しずつ、変えることができます。

小野愛さんのFacebookメッセージ(2014年3月11日)
「2時46分と3時55分頃 黙祷をしました。3年来初めて3月11日宮城から離れて過ごしました。日本の追悼式の放送をつけていると、その後の放送ですぐに閖上の今日の映像が流れてきました。想いがつながった気がしました。(今日ばかりは宮城に帰りたくなったけれど。)

3年がたちました。あちらでは元気でしょうか。私に出来ることといえば精一杯生きることくらいです。
でもこれからも私の中で、閖上で過ごした日々、人々が消えることはありません。忘れることはありません。

日常が日常であることに感謝して、私を励まし支えてくれる、気にかけてくれる、一緒にいてくれる、全ての出会った方々に感謝して、これからも精一杯。」
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