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2021年04月01日

日台友情台北

【東日本大震災の日台友情エピソード】(伊勢万梨乃職員からの投稿)

最後の311日台友情エピソードは、宮城県石巻市出身の当所職員でこの震災エピソード企画を担当した伊勢万梨乃が執筆しました。宮城県で被災した際、台湾からの支援に心を打たれ、そして台湾との縁を結びました。震災では数え切れないほどの喪失と悲しみがありましたが、日台の友情のように、その中で強く育ったものもあります。このかけがえのない友情を皆さんとともに次の10年に繋げていきます。
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東日本大震災当日は高校で部活動をしていました。これまで感じたことのない激しい揺れのあと、校舎まで押し寄せた津波で1階が浸水し閉じ込められ、窓からは炎が見え、津波で流された多くの車の警報音が鳴り続けていました。それ以外の情報は、かろうじて携帯ニュースを見ることができた友人の「地元壊滅だって」という発言のみで、家族はもう生きていないかもしれない、ここも火災に巻き込まれるかもしれないという不安と覚悟で寒さと暗闇の中長い一晩を過ごしました。一人ではなく友人達が側にいてくれたことが心強かったです。水位が少し下がった翌日迎えに来た父から、家族は別の学校に避難していると知らされやっと無事が分かり、実際に再会したときとても安心したのを覚えています。自宅は津波の浸水により床や家具が浮き上がり泥だらけだったので、学校で10日程、親戚の家で2か月程避難生活を送りながら、片付けのため自宅との間を往復する日々を過ごしました。水も食べ物も簡単には手に入りませんでしたが、多くの方からのご支援のおかげでなんとか生活することができました。5月には学校が始まったものの避難先からの通学と非日常は続き、平凡な毎日がどれほど幸せなのかを感じさせられました。

そんな中、それまで知らなかった台湾という場所の方が石巻で義援金を渡していると聞き、私の父も7万円もの金額を直接手渡していただきました。わざわざ日本まで来て、一人一人丁寧に義援金を手渡ししてくださるという思いやりの深さに、驚き感動しました。生活が落ち着き始めるにつれて、友人が台湾企業から自転車を無償提供していただいたこと、台湾が多額の義援金をくださったことなど、台湾から多大な支援をいただいたと知っていきました。そして震災から半年後の秋、幸運にも私は彰化県の高校からの招待で、初めての海外ともなる台湾を訪れる機会をいただきました。10日程と短い滞在期間でしたが、できる限り震災の経験や支援に対する感謝を伝えようという気持ちで、台湾各地の高校生や地域の方と交流しました。当時の私は言葉が聞き取れなかったのですが、台湾の方が暖かく私たちを受入れ応援してくれている気持ちがしっかり心に伝わり、私の中で台湾はとても大きな存在となっていきました。

大学卒業後は日本で就職したものの、台湾への想いが心に残っており思い切って退職し台湾に来ることを決め、今は台湾の高校に日本語の授業を手助けする日本人サポーター「日本語パートナーズ」を派遣する仕事を担当しています。当時の私と同じ年齢の高校生に日本のことをもっと知ってもらい、日台の交流に携わることを通して台湾に恩返しができればという思いで応募しました。そして震災から10年の節目をこの台湾で過ごし、10回目の震災追悼感恩会やこの震災エピソード企画など、台湾に感謝を伝える活動も担当させていただきました。特に、震災エピソード企画を通して、台湾の方が10年経った今も私たちに想いを寄せてくださっていることや日台の友情の深さを実感することができ、とても幸せでした。台湾の友情のおかげで、震災という悲しい出来事は今、私を支え前に向かって歩く力にもなっています。この縁に感謝して、これからもずっと台湾と繋がり続けたいと思っています。謝謝台湾!
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