本文へスキップします。

【全】言語リンク
【全・日】検索フォーム
検索キーワード
【全・日】ヘッダーリンク
【全】言語リンク-SP
【全・日】検索フォーム-SP
検索キーワード
よく検索される語
【全・日】ヘッダーリンク-SP
承認:エディタ
検索候補
ページタイトル

新着情報

新着情報(日本語)

2024年03月28日

お知らせ活動報告(写真)代表台北

林曼麗氏に旭日中綬章を伝達

 3月28日、当所片山和之代表は、令和5年秋の外国人叙勲で旭日中綬章を受章された林曼麗・元故宮博物院院長に対し、勲記及び勲章の伝達を行いました。これは、林先生の長年に亘る日台間の文化・学術交流及び相互理解の促進への寄与に対する、多大なる御功績を称え、授与されたものです。
 片山和之代表の挨拶は以下のとおりです。

【片山和之代表の祝辞】

 林曼麗先生、御臨席の皆様、

 この度、天皇陛下より林曼麗先生に対して、旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう)を賜りました。心よりお祝い申し上げます。これは、林先生の長年に亘る日台間の文化・学術交流及び相互理解の促進への寄与に対する、多大なる御功績を称え、授与されたものです。

 林先生は、戒厳令下の1979年に東京大学に留学、10年間日本に滞在され、同大学で教育学芸術教育博士号を取得されました。ちなみに、先日、現代中国研究で著名な高原明生・東大教授の退官に当たっての最終講義をオンラインで聞いていたところ、高原先生の大学院時代の林先生との交流について懐かしく語られていたのが印象的でした。

 林先生は、その後台湾に戻られ、現在の国立台北教育大学の前身にあたる台北師範学院において、当時の学長からの要請を受け、海外から台湾へ戻ってきた多くの芸術家・研究者を受け入れながら芸術学科の立ち上げを行うとともに、学科主任・専任教授として、日本美術教育方法史、美術館の運営管理などの分野で30年以上に亘って後進の指導にあたられました。

 1996年には、台北市長に乞われ、台北市立美術館の館長に就任されました。1998年に同美術館が主催した「台北ビエンナーレ」では、責任者に日本人の美術専門家を起用、日本人芸術家9名も参加し、台湾ではまだ珍しかった動的パフォーマンスも取り入れ社会的に大きな注目を集め、日本の現代アートに対する広い関心を呼び起こしました。

 2004年には、国立故宮博物院の副院長に抜擢され、2006年には同院の院長に就任されました。これを契機に日本の博物館、研究者らとの交流が活性化、故宮展の日本での開催実現に向け日本側と丁寧な意思疎通を重ねた結果、日本でも故宮展開催に必要な法整備を働きかける動きが広がり、2014年に、門外不出とされてきた同院重要文物の初の海外展示が日本で開催される道を切り開かれた意義は非常に大きいと考えております。私は、2000年代中頃、外務省文化交流課長を務めており、文化庁とこの問題に取り組んでいたことを思い出します。

 また、2014年に館長に就任した台北教育大学付属の北師美術館では、林先生が中心となり、2017年、日本の明治~昭和期の日本近代美術作品を初めて台湾で網羅的に紹介する「日本近代洋画大展」を開催され話題となりました。同美術館では、このほかにも日本人芸術家が参加する企画展が複数開催されており、台湾における日本関係の美術展示の拡充に大きく貢献されています。

 林先生は、2021年秋、日台の国際交流を推進するためのアート・プロジェクト「TAIWAN NOW」の総監督として、最先端のアート、パフォーマンス、デザイン、音楽などのコンテンツを企画し指揮を執られました。アートによる対話と共同制作を通じて、ポストコロナ時代における新たな芸術表現・国際交流の可能性を生み出し、日台のアート分野における人的交流の深化に貢献されました。

 日本統治時代の台湾の彫刻家・黄土水の彫刻作品で、台湾の芸術史において重要な作品の『甘露水』は、約半世紀の間その保管場所が不明となっていました。林先生のご尽力によってついに台中で作品が発見され、修復作業を経て2021年9月、蔡英文総統立会いの下、文化部で永久に保存されることとなりました。本保存活動は日台で広く報じられ反響を呼びました。

 今回のご受章は、2018年の外務大臣表彰に続き、林先生が長年にわたって情熱と誠意をもって日台芸術交流にご尽力されてこられたことと、ご家族の皆様並びに関係者の皆様の日々の支えと励ましがあってこそ実現したものと存じます。本日御臨席の皆様とともに、林先生のご受章をお祝いできることを嬉しく思います。
 最後に、林先生及び御臨席の皆様方の益々の御健勝と御多幸、また、日台関係の益々の発展を祈念して、私からのお祝いの言葉といたします。本日は、誠におめでとうございます。