弔辞
李登輝先生、
あなたの98年の生涯を思う時、私は人間と人間の絆の強さと素晴らしさを思います。私たちは何度も、肩を抱き、笑い合って、楽しい時間を過ごしました。あなたは台湾総統の経験者として、私は日本国総理として、それぞれの立場はありましたが、お互いの人間としての友情や尊敬は一度も揺らぐことはありませんでした。本日、私がここに立っているのもその証です。ただ、私の心が深く痛むのは、これが私たちの友情を確かめる最後の機会となってしまったことです。
私の父は、台湾ラグビーの星で、日本代表主将も務めた、柯子彰選手と同年でありまして、二人は早稲田大学ラグビー部で同じボールを追いかけていたそうです。総理を退任し、2003年に台湾を訪問した際、私は柯子彰選手の墓前で、父との友情への感謝と、二人の日台親善の思いが、父の世代、私の世代、そして更に次の世代へと受け継がれていくことを祈りました。それから17年、先日東京で、あなたの追悼記帳に伺った際、私は、大勢の日本人が長い列をつくって、あなたの遺影の前で祈りを捧げ、日台親善を願っているのを目にしました。
私たちの人間としての絆が、海を越え、立場を越えたように、今や台湾と日本の間には、 沢山の人と人との絆が出来上がっています。台湾は、あなたが理想とした民主化を成し遂 げ、台湾と日本は、自由と民主主義、人権、そして普遍的な価値を共有する、素晴らしい 親善関係・友好関係を築き上げました。きっと、あなたと私の友情も、次の世代へしっかりと受け継がれ、日台の親善関係はますます強固なものになっていくでしょう。
私の父と柯子彰選手が、国籍を超えて、同じラグビーボールを追いかけたように、あなたと私は、お互い政治的立場を超えて、アジアと世界の平和と繁栄という、同じ夢を追いかけました。戦後処理の嵐の中で、敗戦した日本が領土的一体性を守ることができた経緯を教えてくれたのも、あなたでした。私は、これからも、スポーツの力で世界の人々を繋いで、あなたの分も、同じ夢を追いかけていきたいと思います。
昨年、日本で開催されましたラグビー・ワールドカップは大成功をおさめ、そして来夏は、新型コロナウイルス感染症で一年延期となった東京オリンピック・パラリンピック競技大会が幕を開けます。東京のあなたの追悼記帳台では、あなたが好きだった「千の風になって」の音楽が流れていました。今日またこの御霊前で「千の風になって」を聞くことが出来ました。2021年7月23日、東京オリンピックの開会式には、きっと優しい風が吹くことと思います。その時、私は、空を見上げて、東京オリンピック・パラリンピックの成功を祈ってくれている、李登輝先生、あなたの魂とあの笑顔を感じるでしょう。
どうぞ安らかにお眠り下さい。
森喜朗