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日本人会会報誌「さんご」掲載 泉代表インタビュー

更新日時
インタビュー日:2021年9月13日
コンテンツ

本日は、すっかりおなじみとなった当協会オリジナルの「日台友情」ロゴの決定秘話や、そのロゴの下に当協会が実施している広報行事「日台友情」シリーズの裏側、更には日本から台湾へのワクチン供与や東京オリンピック・パラリンピックを通じて一層高まった日台友好機運等について泉代表が感じた率直な気持ちについて、日本台湾交流協会台北事務所派遣員・小向がお話を伺いました。

 

※本インタビューは日本人会冊子「さんご」2021年11月号に掲載したものです。

日台友情シリーズの経緯

小向派遣員

本日はよろしくお願いいたします。
早速ですが、当協会は本年、日台の友情を深めるための様々な取組みを行ってきました。
当協会がこのような大きな広報キャンペーンを行うのは初めてだと思います。どのようなお考えがあったのでしょうか。

泉裕泰代表

今年は東日本大震災から10年になります。
当時私は在外公館にいたのですが、テレビの報道を見た時、世界の終わりのような感じを持ちました。
日本中が絶望し、被災地から多くの外国人が避難しました。ですが、誰もが逃げ出していく中で、台湾の多くのボランティア方が被災地に駆けつけてくれて、更に250億円もの支援を寄せてくれました。義援金は世界中から寄せられましたが、台湾からが圧倒的に多かったですし、その多くが一般の方一人ひとりによる小口の寄付だと知って本当にびっくりしました。
日本が困った時に、ともに心を痛めてただ純粋に助けの手を差し伸べてくれる友人がいたんだと改めて実感しました。
あの時の感動を忘れてはいけないと思い、10年たったこの節目に感謝の気持ちを伝えていきたいと思ったことが、のちの日台友情シリーズにつながる最初のきっかけです。

友情ロゴ・キービジュアルの紹介

小向派遣員

「日台友情」シリーズに合わせて当協会では、日台友情の精神を表したオリジナルの広報ロゴとキービジュアルを作成しました。
泉代表は完成した時にどのように感じられましたか。また、完成するまでの経緯をぜひ教えていただけませんか。
ほかにはどんな候補作品があって、今の友情ロゴ・キービジュアルに決定した決め手は何だったのでしょうか。

泉裕泰代表

日台友情の活動をするにあたって、様々な場所で使えるロゴマークがあったら良いなと思ったのが最初の発想です。
これは日台友情ですから、日本人が考えるよりも、台湾の人に考えてもらおうということで、「兩個八月」という日本でデザインを勉強し、台湾で活躍している2人組の若手デザイナーに「ロゴやキービジュアルを作ってくれませんか」とお願いしたところ、「日本は第二のふるさとです、大変光栄です」と言って作ってくれることになりました。
どういったデザインが良いのかということについては、最初は色々な考えがあったのですが、「兩個八月」のお2人は3つのパターンを用意してくれました。それをみんなで見てどれが良いのか議論しました。
JAPANの「J」のマークと、TAIWANの「T」のマークを合わせると「人」という字になります。これが良いじゃないかと思いました。日本と台湾というのは人と人のつながりの関係なので、「人」という字になるのは日本と台湾の友情を表せて良いですね、ということでこのマークに決定しました。
キービジュアルは子どもからお年寄りまで様々なパターンの人が描かれています。みんな人型を作っているのですが、この人型ポーズを実際にやってみると結構難しいんです。目で見ると簡単そうですが、やはりお互いに信頼して力を寄せないとこの形にできません。
この形を作るには信頼する心がなければいけないと考えると、ますます良いデザインだったなと思います。私も大満足です。

ロゴマーク

キービジュアル


 

ロゴマークとキービジュアルをデザインした「兩個八月」と泉代表



小向派遣員

「日台友情」シリーズのイベントの一つとして、1月23日には台北101ビルに「日台友情」の文字を映し出す点灯式が行われました。私もその場にいましたが、日台の歴史に残る瞬間を見ることができ、とても感動しました。
泉代表はこのイベントでどのようなことを感じられましたか。
また、日本の代表機関が台湾のランドマークでイベントを行うというこの初めての取組みは内外の注目を集めましたが、なぜ台北101ビルでのイベントを思いついたのでしょうか?

泉裕泰代表

最初に、台北101ビルの協力に感謝したいと思います。
なぜこれを思いついたかというと、台北101ビルは台湾を象徴する建物ですよね。日本でいうと東京タワーにあたります。
その台湾を象徴する建物において、日台友情のロゴマークや文字が並ぶというのはとてもふさわしいと思い、台北101ビルで点灯式を行えるよう協力を求めました。
台北101ビルに、「日台友情」の文字とロゴが浮かび上がった瞬間は、本当に嬉しかったです。

台北101ビル点灯式


「日台友情」の文字を投影


 

小向派遣員

台北101ビルの点灯式を皮切りに、3月には展示イベント「東北友情特別展示」や音楽祭「日台の心 音楽会&マーケット」が開催されました。
泉代表が印象に残っていることを教えてください。また、展示には蔡英文総統も参観に来られましたが、どのようなお話をされましたか?蔡総統はどの展示に関心をお持ちだったのでしょうか?

泉裕泰代表

12日間にわたった「東北友情特別展示」では、当時の被災地の様子が紹介されたほか、日台の友好と友情を表す展示が行われました。
蔡英文総統が参観に来られた時、一番食い入るように見ておられたのは、震災発生直後に地元の新聞社「石巻日日新聞」が発行した壁新聞です。生活インフラも止まりすべての情報が遮断された極限状態で、少しでも情報を伝えて被災者たちを繋げようという記者たちの思いが伝わってくる、写真も何もない手書きのその壁新聞を、蔡総統はとても興味深く見ておられました。
世界的なデザイナーの故・高田賢三さんが発起人となった「起き上がりこぼしプロジェクト」の展示も、時間をかけてじっくり見ておられました。被災地を応援したいという台湾を含めた世界中の人たちが、福島の郷土玩具である起き上がりこぼしに思い思いのオリジナルの絵付けをしたもので、元気をもらえる素敵な作品がたくさんありました。
展示期間中の週末2日間に開催された音楽会では、「滅火器」という台湾の人気バンドが、日台友情のために作ってくれた新曲「希望の明日」を披露しました。初めて聞いた時には、感動して涙がこぼれそうになりました。心からのピュアな友情を感じることのできる、本当に良い曲だと思います。
「滅火器」は今回だけではなく、東日本大震災から5年目の節目にも、被災地へのエールを込めた「Keep On Going」という曲を作ってくれており、そちらもとても良い曲です。
震災から10年という節目の年に、日台の友情をテーマとした曲を台湾の方が作ってくれ、それを3月というタイミングで出すことができたことで、私たちの感謝の気持ちや日台双方の想いを多くの人に伝えることができました。
私も「滅火器」が作ったMVに友情出演していますが、あれはたまたま視察に行ったら参加することになってしまったもので、何の準備もしていませんでしたし、映らなくても良かったと思います(笑)

台湾のバンド「滅火器」が新曲披露



蔡英文総統が展示を参観



 

日本から台湾へのワクチン供与

小向派遣員

日本は6月に第1弾、7月に第2弾、第3弾と台湾へのワクチン供与を行いました。
その後も、日本からのワクチン供与は続いています。台湾各界からどのような反応があり、そして泉代表はどのようにお感じになられましたか。

泉裕泰代表

台湾がピンチの時には、日本がすぐに駆けつけてあげることが大事だとずっと思っていたので、それができたことが何よりも良かったです。
台湾側からもたくさんの感謝が寄せられて、台湾中から驚くような数の感謝の花束やお手紙やたくさんの果物をいただきました。
この反響の多さに我々もびっくりして恐縮するような状況でしたが、そこまで喜んでもらえて安心しました。
日本と台湾は困った時にお互いが自然に手を差し伸べる関係にあります。まだコロナ禍で日台間のリアルな交流はなかなかできない状況ですが、

東京オリンピック・パラリンピックの開催

小向派遣員

今年7月からは東京オリンピックが、8月からはパラリンピックが開催され、特にオリンピックでは、日台共に過去最高の成績をおさめました。
台湾人選手の活躍をどのようにご覧になられましたか。

泉裕泰代表

今回の東京オリンピック・パラリンピックについては、開催にあたって日本国内でも様々な意見がありました。
反対する意見もありましたが、オリンピック・パラリンピックの開催というのは、日本が世界に向けて約束したことでしたので、新型コロナウイルスの流行という非常に厳しい状況の中でなんとか開催でき、世界に対する約束を果たすことができたと思います。
日本国内で感染も広がり、今なお多くの人たちが苦しんでおり、病院も逼迫していることを考えると、大変困難な大会だったと思います。その中で台湾の選手が活躍して、金2つ、銀4つ、銅6つという史上最高のメダルを獲得しました。台湾選手は本当によく頑張ったと思います。
台湾の人たちからは、東京大会の開催は日本だからできたことなのだ、きっと他の国だったらこうはいかなかったのではないか、日本に感謝したい、というコメントがたくさん寄せられました。それを聞いて、喜んでもらえた面もあったのだなとほっとしました。
実は、日本国内でも「台湾を応援したい」という気持ちは強く、台湾のホストタウンに名乗りを上げた都市は、最多の28都市でした。台湾がトップに立ったということは、日本国民がいかに台湾を愛し、親しみを持っているのかということの表れだと思っています。世界最多のホストタウンの数は、日本国民が台湾の人々に送った「3つ目の金メダル」だと言ってよいと思います。

泉裕泰代表

また、台湾内で流行語になった「TAIWAN IN」という言葉がありますが、決勝で中国ペアを破りそれを実現したバドミントン男子ペアの活躍は本当に素晴らしかったですね。バドミントンでは台湾史上初めての金メダルですよね。王齊麟(ワン・チーリン)選手と李洋(リー・ヤン)選手の「麟洋ペア」は、閉幕後に当所を表敬訪問してくれました。オリンピックを開催してくれてありがとう、日本は素晴らしかったと一生懸命話してくれ、とても素直で気持ちの良い若者たちでした。
台湾は合計12個のメダルを獲得しましたが、そのうち6回は、日本の選手と一緒に表彰台にあがっていますよね。それも、今回の大会を通しての日台の友情を象徴するようなシーンで、とても心に残っています。
オリンピックを通じて台湾と世界との友情が深まり、その中でも日本と台湾の友情は特に深まったと思います。

 


バドミントン金メダリストが泉代表を表敬訪問

小向派遣員

最後に、今年も残りわずかとなりましたが、来年以降の日台はどのように進んでいけば良いと思いますか。

泉裕泰代表

来年は、日本と中華民国という国と国との関係が終了し、日本と台湾がいわゆる非政府間の実務関係に移行してから、ちょうど50年目となります。
日本と台湾には現在、正式な外交関係がありませんが、世界中のどこにも負けない、深い友情と信頼で結ばれた関係だと思っています。
50年目をどう位置付けるかと考えた時に、来年はこれから100年続く日台友情の中間地点だという風に考え、日本と台湾の関係が今後更に発展していく一つの出発点として位置付けたいと思っています。日本と台湾の関係は、お互いが困った時には、一人ひとり自発的に助け合う関係だと思っています。「善意の循環」と言っていますが、無敵の愛と善意が循環する世界中が羨むこの素晴らしい関係を更に維持・発展していくために、私も尽力していきたいと思います。来年が、次なる半世紀に向けての新たな出発点となるために、今はコロナで制限がありますが、色々なことをやりたいと、アイデアだけはたくさん持っています。コロナが収まったら、それらを一つずつ実現していきたいと思っていますので、みなさん、その時はご協力をよろしくお願いいたします。

小向派遣員

本日は貴重なお話ありがとうございました!