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陳鴻基氏に旭日重光章を伝達しました

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 9月30日、当所泉裕泰代表は、令和4年春の外国人叙勲で旭日重光章を受章された陳鴻基氏に対し、勲記及び勲章の伝達を行いました。これは、陳氏の日本・台湾間の友好親善及び相互理解の促進に寄与に対する多大なる御功績を称えるものです。
 2004年10月、新潟県中越地震が発生した際、当時駐日副代表であった陳鴻基先生は、すぐさま新潟県に駆けつけ、災害復興の支援を行ってくださいました。日本と台湾は災害が起きるたびに、お互い助け合ってきていますが、この精神を現場でしっかり支え、体現してくださいました。
 その後、2007年、当時歴代最年少で亜東関係協会会長に就任され、引き続き日台の民間交流を大きく推進していただきました。
 日台関係の発展のために長年にわたり献身的なご尽力をされてこられた陳鴻基氏のご貢献に衷心の敬意と謝意を表します。
 この度の受章、誠におめでとうございます。

泉代表の挨拶全文は以下の通り。

 陳鴻基先生、御臨席の皆先生、この度天皇陛下から、陳鴻基先生に対し、旭日重光章を賜りました。心よりお祝い申し上げます。

 これは、日本・台湾間の友好親善及び相互理解の促進に対する、陳鴻基先生の多大なる御功績を称えるもので、大変名誉ある勲章であります。

 陳鴻基先生は、一昨年亡くなられた李登輝元総統を支持する国民党若手の中核的存在として、日本との交流に御尽力いただきました。立法委員を務められていた時期には、日本との議員交流にも御貢献いただきました。

 その後、2004年から2007年までは、台北駐日経済文化代表処の副代表を務められました。2004年10月、新潟県中越地震が発生した際、陳鴻基先生はすぐさま現地の新潟県庁に駆けつけ、当時の陳水扁総統の代理として、200万円の見舞金を贈呈し、災害復興の支援を行ってくださいました。日本と台湾は災害が起きるたびに、お互い助け合ってきていますが、この精神を現場でしっかり支え、体現してくださったのが陳鴻基先生です。

 その後、2007年、駐日副代表としての功績や、培われてきた日本各界要人との人脈が買われ、亜東関係協会会長に就任されましたが、なんとこれは、当時歴代最年少での同職への就任でありました。それだけではなく、当時、亜東関係協会会長の職は、台北駐日経済文化代表処代表経験者が就任するのが通例となっていたところ、副代表からの就任は異例の抜擢と言われました。

 それだけ、対日関係における陳鴻基先生の功績が高く評価されていたということです。戦後世代の中で、陳鴻基先生は最も積極的に対日関係に関わってきた台湾政治家の一人であると言って間違いありません。

 陳鴻基先生が亜東関係協会会長に御在任の期間中、日台の民間交流には大きな進展がありました。台湾を訪問する日本人に対する査証免除滞在期間は、従来の30日間から90日間まで延長されました。

 また、日本の運転免許証を所持する日本人に対し、無試験で台湾の運転免許証を発行する措置が開始されました。これらは、現在台湾に住む我々にとって、非常に身近かつ大変重要な制度になっております。

 陳鴻基先生によるこうした功績や、関わってこられた日台交流の思い出を話せばきりがありません。私が強調したかったのは、陳鴻基先生は日台間のかけがえのない架け橋となってこられたところ、今回受章された「旭日重光章」の栄誉に大変ふさわしいということです。

 昨年来、日台の国民感情は史上最高の状態にあります。引き続き、この関係を太く長いものとしていくため、引き続き陳鴻基先生のお力添えをいただきたく、お願い申し上げます。

 最後になりますが、陳鴻基先生並びに皆先生の益々の御健勝と御多幸、また、日台関係の更なる発展を祈念して、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。本日は、誠におめでとうございます。