本文へスキップします。

【全】言語リンク
【全・日】検索フォーム
検索キーワード
【全・日】ヘッダーリンク
【全】言語リンク-SP
【全・日】検索フォーム-SP
検索キーワード
よく検索される語
【全・日】ヘッダーリンク-SP
承認:エディタ
ページタイトル

日本人会会報誌「さんご」掲載 泉代表インタビュー

更新日時
コンテンツ

インタビュー日:2022年10月12日

 今年は当協会設立50周年の節目の年です。これまでの日台関係を振り返り、昨年から当協会が実施している「日台友情」シリーズの様々なイベントや、今年7月の故安倍晋三元総理の弔問受け付け、そして今後の日台関係への期待など泉代表が感じたことについて、日本台湾交流協会台北事務所派遣員・辺がお話を伺いました。

 

※本インタビューは日本人会冊子「さんご」2022年12月号に掲載したものです。

日台関係の深化


辺派遣員

本日はよろしくお願いいたします。今年は交流協会設立50周年ということで、「日台友情50年」をテーマにお話を伺いたいと思います。
今年1月に実施した対日世論調査では、77%の台湾の方々が「日本に親しみを感じる」と回答していました。このように日台関係が非常に良好な中で、協会設立50周年を迎えられることについてどうお感じになりますか。またこの50年間、当協会はどのようにして台湾との良好な関係を深めてきたのでしょうか。


泉裕泰代表

日本と台湾は正式な外交関係がありませんが、正式な外交関係があるどんな国よりも深い友情と信頼で結ばれた関係であると思います。例えば、地震や台風などが起これば、「大丈夫かな?」とあたかも親戚や友人のように、自然に相手のことを思いやるような関係です。普通、世界を見渡しても隣の国同士の関係はなかなかうまくいかないことが多いですが、日本のそばに台湾のような日本のことを大好きでいてくれる人たちがいるということは、日本にとって幸せなことだと思います。そうした関係をこの50年間で築けたことは、本当に日本と台湾の先輩たちに感謝をしないといけません。また、これからもそういう努力を続けていく必要があると思います。
この50年間の日台関係の歩みのなかで、私は少しでも日本と台湾の人たちがお互いをもっと知り、よりいっそう理解を深められるように心を砕いてきました。そのひとつが、2005年に愛知県で行われた愛知万博をきっかけに実現した、台湾の人々のノービザによる日本入国措置でした。当時、私は東京の外務省で中国課長を務めていたのですが、日台関係は決して悪くはなかったものの、もっともっと隣人を知ることによってさらに高いステージに押し上げられると考えました。台湾には日本統治時代に教育を受け、日本に好意を寄せてくれるお年寄りたちがたくさんいましたが、将来のことを考えると、世代を超えた相互理解が必須だと思ったのです。その後、万博期間中の限定的な措置だった、台湾の人々による日本入国の際のノービザ措置を恒久化する決定がなされたのは大変喜ばしいことでした。こうした措置によって台湾の人たちがよりいっそう自由に日本に行けるようになりました。台湾側も日本人に対するノービザで滞在できる期間を延長し、日本人もより自由に、より長く台湾に滞在できるようになりました。その結果、日台の交流が格段に活発になり、往来も非常に密接となりました。それによってお互いのことをもっと理解するようになり、いっそう好きになっていったのではないかと思います。今やたくさんの台湾の人たちが日本に想いを寄せ、ためらいなく大好きだと言ってくれるのを見ると、あのときに播いた種がいま大きく花開いたと感じずにはいられませんし、いま私が交流協会台北事務所の代表として台湾にいるのは不思議な縁を感じますね。同時に、これからも努力を続けていかないといけないと気を引き締めています。

50周年の取組み


辺派遣員

昨年は「友情のワクチン」や東京オリンピック・パラリンピックなど日台の強い結びつきを感じる出来事が多くありました。50周年の今年も、当協会は昨年に引き続き「日台友情」シリーズとして様々な取組みを実施してきました。8月20日には「日台フルーツ夏祭」を総統府前のケタガラン大通りで開催し、自由な往来が難しい中で、多くの日本のフルーツを台湾に紹介し、台湾も様々なフルーツを用意してくださいました。泉代表は当日のイベントをご覧になって、どのように感じられましたか?





泉裕泰代表

実は3年前に台湾に来た時、絶対にやりたいと思ったイベントが、「日台フルーツ祭」でした。日本のフルーツはすごいですよね。これは日本の誇りでもあります。そして台湾のフルーツも負けていません。じゃあ、お互いに一番美味しいフルーツを並べてみて、一緒に味わったらどうかと思ったんです。当時は福島などの5県産品が台湾に入ってこられない状況でしたが、今年の2月にようやく台湾が輸入規制を緩和したことで、日本の全国のフルーツを持ってこられるようになったので実現したのです。お忍びでイベントに訪れて下さった蔡英文総統も日本のフルーツに大変興味を持たれていましたが、台湾のフルーツの売込みにもとても熱心でした。蔡総統は、「泉代表の日本のご家族にこの文旦を送りましょう」とおっしゃって、日本にいる私の息子家族に台湾の文旦を送ってくださいました。日本の家族は、すごくおいしいと話していました。


日台フルーツ夏祭開幕式          ブースに並ぶフルーツ
 

▼蔡英文総統等が金魚すくいを体験

 


辺派遣員

もう一つ大きなイベントとして、10月10日の国慶節に日本からマーチングバンドの名門、京都橘高校が訪台し、祝賀式典で迫力あるパフォーマンスを披露してくれました。国慶節の祝賀式典で台湾が外国の団体を正式に招待して、演目を披露するのは初めてとのことですが、泉代表はどのようにご覧になりましたか?





泉裕泰代表

海外の団体にこのような機会を与えてくれる台湾は、すごく懐が広く、素晴らしいなと思いました。そしてそれに応えた京都橘高校も素晴らしいパフォーマンスを披露してくれて、非常に感動しました。最近は涙腺が緩みがちなので、ちょっと涙が出ました(笑)。
しかも、京都橘高校はちょうどいいタイミングで来てくれたと思います。今年は当協会設立50周年の年ですし、コロナが落ち着いてきて、10月には日本も台湾も互いにビザ免除での往来が復活したので、おそらく来年は日本と台湾の観光交流年になると思います。今回、京都橘高校が来てくれて、「これから日台観光交流年の幕開けですよ!」というゴングを鳴らしてくれた、そんな気がします。


国慶節祝賀式典での橘高校パフォーマンス
 

故安倍晋三元総理の弔問受け付け


辺派遣員

当協会の一員として私も様々なイベントに立ち会う中で、日本と台湾のつながりの強さを感じてきました。一方、もう一つ日台の友情を強く感じた出来事として、今年7月に安倍元総理が急逝され、台湾でも衝撃をもって受け止められました。総統府などの政府機関や公立学校では半旗が掲揚されるなど、台湾各界から弔意と感謝が示されました。当協会でも追悼会場を設置して弔問を受け付けました。この出来事について、泉代表はどのように感じられましたか?


泉裕泰代表

台湾のことを応援し続けてきてくれた安倍元総理があのようなかたちで亡くなられたのは大変な驚きであり、かつ悲しい出来事でした。しかし、その後に台湾の人たちが示してくれた安倍元総理に対するお悔やみの気持ちには、より驚かされました。私たち日本人の想像を遥かに超えるものだったからです。台北事務所で、7日間にわたって追悼会場を設けたことも、台北と高雄を合わせて約1万5千人もの台湾の方々が足を運んで下さったことも、おそらく世界でも突出した数字だったでしょう。私も、暑い中訪れてくださる台湾の方々にせめてもの御礼の気持ちを表したいと思い、できる限りの時間、献花台の横に立っていましたが、車椅子から立ち上がって最敬礼をして下さったお年寄りや、小さなお子さんの手を引いたご両親、若者たちのグループまで、本当に多くの台湾の人たちが、手に手に花を持ち、その真心を伝えに来てくださり、会場に入りきらないくらいたくさんのお花が集まりました。あれほどの弔意を示してくださった台湾の方々に、本当に心から感謝したいと思うとともに、これからも仲良く助け合っていきたいなと改めて強く思いました。


当協会前に設置された安倍元総理へのメッセージボード
 

今後の日台関係について


辺派遣員

10月から日台間でビザなしでの往来が再開し、コロナ前のような自由な往来が回復しつつあります。泉代表はどのようなことに期待されますか?


泉裕泰代表

コロナ禍の2年半、日本も台湾も観光業界や航空会社はとても苦しい状況にありました。コロナ前には、台湾から日本に毎年5百万人もの人々が訪れていました。日本から台湾へは毎年2百万人で、3百万の差はあれど、とても活発な交流がありました。その活発な交流がコロナ禍によって押さえ込まれてしまったわけですが、鬱積したエネルギーが吹き出すように、今年から来年にかけてはこれまで以上に多くの人が台湾から日本へ、日本から台湾へ行くことになると思います。そうすることで、お互いの観光業界や外食産業などももっと潤い、ますます盛んになると思います。日本と台湾の観光交流がより活発になるように、当協会も台湾側と協力をしていきます。

次の50年に向けて


辺派遣員

冒頭でもお話いただいたように、日台関係は非常に良好なかたちで50周年を迎えることができたと思います。昨年のインタビューで泉代表は、日本と台湾が非政府間の実務関係に移行してから50年目でもあり、当協会設立50年目でもあるこの年を「100年続く日台友情の中間点」とおっしゃっていました。最後に、これからの50年に向けて泉代表の思いをお聞かせください。


泉裕泰代表

これまで日本と台湾の関係をより良くするために様々な取り組みをしてきました。すでにかなりいい関係になっていると思いますが、さらに良くするためにはどうすればいいのか、これからもっと知恵を出さないといけません。ただ、私達がやるべきことは実はたくさんあります。まず、台湾が国際社会の中でもっと活躍できるように助けないといけません。例えばコロナ禍において「防疫対策の優等生」と言われた台湾がWHO(世界保健機関)に参加して、国際的な医療や衛生の問題に貢献できるようにしたり、ICAO(国際民間航空機関)などの組織に少なくともオブザーバーとして参加し、国際航空安全の情報をきちんと得られるようにしたりすることです。また、世界中で組織されつつある国際経済組織、例えば台湾が参加を希望しているCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)などに入れるように、私としても支援していければと思っています。
また、それと同時に大事なのは、日本と台湾の交流の絆を引き続き深めることです。先日、京都橘高校が台湾を訪れてマーチングを通して台湾の高校生と交流していましたが、こうした若い世代の人たちがもっともっとお互いのことを理解して好きになるということが大事だと思います。たとえば、京都橘高校の皆さんにとっては、親戚のお姉さんや妹が台湾にいるような、そんな関係になったらいいなと思います。また、そのためには相手のことをよく知ることが大事です。外交ではよく言っていますが、「imagination」、つまり相手の立場に身を置いて考えることができる力と「compassion」、相手の立場に身を置いて同じ感情を共有する力が大事だと思っています。


辺派遣員

政治や経済の面での関わりも大事ですが、人と人との関わりを強くすることが一番大事だということですね。


泉裕泰代表

そうですね。当協会の日台友情ロゴマークは、JAPANの「J」のマークとTAIWANの「T」のマーク を合わせることによって「人」という字を形づくっています。やはり、大切なのは「人」どうしのお付き合いです。日本と台湾のこれからの交流のカギも人と人との交流が一番大事だと思います。


辺派遣員

本日は貴重なお話ありがとうございました。


                                 ▼ロゴマーク                                                          ▼50周年版ロゴマーク