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台湾月報

汎用DB:詳細
年月日 2011/09/09
分類 内政
記事 内部告発サイト「ウィキリークス」によるAIT公電の暴露関連
掲載紙、掲載面 時2,3、連4、自4
備考 (1)2008年、当時の謝長廷民進党総統候補がヤング・AIT代表との会食の席で、副総統人選について、集票能力の観点から自分は客家人の葉菊蘭氏を選びたかったが陳水扁前総統が蘇貞昌氏を勧めていたことに言及。 (2)2006年、蘇貞昌氏がヤング・AIT代表との会食の席で、当時の呂秀蓮副総統について、思想と行為の両方とも予測不可能だとした上で、もし、抗議活動が拡大して陳水扁総統(当時)が辞任、そして、呂秀蓮氏が総統になったら、両岸関係に重大なダメージを与えるであろうとの見方を示すとともに、呂秀蓮氏による総統への就任は多くの党員が最も恐れていることだと明言。一方、当時の民進党主席である游錫?氏もヤング・AIT代表に、呂秀蓮氏を支持する民進党職員が殆どいない、呂秀蓮氏が総統になったら、野党リーダーの宋楚瑜氏を副総統に任命するなど重大な変革を行い、民進党を実質的に野党にさせてしまうこともあり得ると話したこともある。 (3)2006年11月、陳水扁総統(当時)が妻の呉淑珍の起訴が政権の崩壊を促すことを恐れ、辞意を表していた当時の蘇貞昌・行政院長を懸命に慰留した。一方、同年10月、王金平・立法院長がヤング・AIT代表との会談で、陳水扁総統(当時)が当時の蘇貞昌・行政院長を排除するため、関係者を通じ、自分にも行政院長となるよう打診した。しかし、行政院長職を引き受けることに対し、連戦・国民党名誉主席が賛成したものの馬英九総統が反対した旨明かした。 (4)2005年、国民党主席選挙に参加した王金平・立法院長の当時のスポークスマンはヤング・AIT代表との私的談話で、主席選挙の惨敗に対し、王院長が大きなショックを受けたものの、2008年総統選挙における党内指名での巻き返しに大きな期待を抱いており、そして、馬英九・国民党主席(当時)に協力せず、国会と南台湾における自身への支持勢力の拡大に専念するとの戦略を取った旨述べた。又、2008年、王金平・立法院長はヤング・AIT代表との私的談話で、国民党内で馬英九氏による党主席選挙への参加に対する反対意見が多いと明言した上で、連戦・名誉主席こそが最も適任な人選であるとの見方を示した。 (5)蕭萬長・副総統が2008年総統選挙前に、ヤング・AIT代表との私的談話で、支持率が伸び悩んでおり、強いリーダーシップも示されておらずなどの理由で馬英九氏の選挙情勢を悲観視する旨表明。 (6)2007年県知事・市長選挙の後、当選したカク龍斌・台北市長と周錫イ・台北県知事をそれぞれ往訪したヤング・AIT代表が、市長職を総統職への一時的な腰掛としてしか見ていなかった前任者(馬英九氏)と異なり、意図的に国政と距離を置き、市政のみを注視しているカク龍斌氏を高く評価。一方、周錫イ氏が談話の中で、馬英九氏が内気で、連戦氏を始めとする長老との関係は親密ではなく、又、自分を「聖人」と見なすとともに、王金平氏を国民党の汚職の一部と見なすことさえあると明かした。 (7)王金平・立法院長と蕭萬長・副総統がそれぞれ、AITの公電内容が事実ではないと否定。 (8)2008年5月、ヤング・AIT代表との会談で馬英九氏は廉潔であり、正直であることから良い総統になれると称賛した李登輝元総統は、同年の10月にヤング・AIT代表と再度会談した際、馬英九氏がリーダーとしての素質に欠けると批判。 (9)2008年総統選挙後、当時の馬英九氏の外交ブレーンの馮寄台氏から、馬英九総統が陳水扁氏に対する特赦を検討したことがあると聞かされた。 (10)2008年、民進党が総統選挙で敗北した後、当時の呉乃仁秘書長はヤング・AIT代表に対し、蘇貞昌氏が2012年総統選挙に出る可能性のある唯一の候補者だが、民進党は2012年に政権を奪回することが困難であるとの見方を示した。一方、蔡英文・民進党主席は2009年6月にも、ヤング・AIT代表に対し、民進党が2012年より、2016年に政権を奪回する機会が大きいことを認めた。 (11)胡志強・台中市長は呉伯雄国民党主席(当時)が馬英九氏から主席選挙への出馬決定が事前に知らされなかったことに対する不快を隠さなかったと述べた。 (12)王金平立法院長も、朱立倫・行政院副院長(当時)も、呉伯雄国民党主席(当時)が主席職を辞任する条件として、息子の桃園県知事選挙出馬への支持を求めたと話した。
エディタV2